東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9498号 判決 1968年8月01日
原告
大野美佐子こと金清一
被告
原孝太郎
主文
一、被告は原告に対し金三一〇、〇〇〇円および内金二六〇、〇〇〇円に対する昭和四二年一月二四日から、内金五〇、〇〇〇円に対する昭和四二年八月三一日から、それぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四、この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告
「被告は原告に対し金三、四六三、七一〇円および内金一、〇〇〇、〇〇〇円に対する昭和四二年一月二四日から、内金二、四六三、七一〇円に対する昭和四二年九月一五日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」
との判決ならび仮執行の宣言
二、被告
「原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。」
との判決
第二、請求原因
一、(事故の発生)
原告は、昭和四二年一月二四日午後七時三〇分頃、東京都新宿区大京町二六番地先道路を横断する際、道路中央センターライン約一米手前に佇立中、被告運転の自家用乗用車(練馬五ね三七九号。以下被告車と略称)に衝突されて転倒し、頭部外傷(頭蓋内出血)顔面、左胸部、左上肢、左腰部および両膝部両足趾部挫傷、前歯二切断傷の傷害を受けた。
二、(被告の地位)
加害車の所有名義は事故当時訴外横山和雄であつたが、被告が月賦購入して月賦金の返済中であり、被告が自己の業務用および私生活用の使用のため保有者として運行の用に供していた。
三、(損害)
(一) 逸失利益 二、三六三、七一〇円
原告は昭和四一年一一月一日から、一〇年間の予定で新宿区大京町二五番地所在旅館あぐら荘に女中として勤務し、固定月給二三、〇〇〇円、チツプは月平均二〇、〇〇〇円を下らない計四三、〇〇〇円の収入を得ていた。
ところが、原告は、本件事故後一年六ケ月現在において、頭痛、めまい、おう吐感、手足のしびれがあり歩行困難であつて、左大腿部、左肋骨、左肩甲骨等が降雨曇時には激痛が残り、歯もつないだり入れ替えたりしたが不完全で食欲が減退し、かかる状態は今後も続く状態である。
そこで原告は、控え目にみて事故後五年間収入がないとして、その間の収入につき年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法により控除すると、二、三六三、七一〇円となり、右金額が原告の失つた得べかりし利益の一時払額である。
仮に、右の主張が認められないとしても、一年六ケ月は全然収入がなく、その後七年間労働能力の喪失を五割として、右と同額の損害を受けたことになる。
(二) 慰藉料 一、〇〇〇、〇〇〇円
原告は、本件事故により、前記のような傷害を受け、脳波に異常が認められ、将来テンカンその他一命にもかかわる可能性ある後遺症がある他、傷害部位は事故後一年六月にして尚痛み、歯も継ぎ歯を余儀なくされ、その肉体的苦痛は甚大であるのみならず、結核のため日赤病院に三ケ年の予定で入院していた長女も心痛の余り退院して一家の生計の一助にと働いており一命にも影響するおそれがあり、このような事情における原告の精神的苦痛はこれ亦漠大である。
原告の蒙つた以上のような肉体的精神的苦痛を慰藉する金額としては一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
(三) 弁護士費用 二〇〇、〇〇〇円
原告は、被告が原告の蒙つた右損害賠償金を支払わないため、本件訴の提起を弁護士中嶋一麿に委任するのやむなきに至り、昭和四二年八月三〇日着手金として、二〇〇、〇〇〇円を同弁護士に支払つた。この支出も、本件事故に基き原告が蒙つた損害というべきである。
(四) 仮払金の充当
原告は、昭和四二年七月二七日、強制保険金の仮払金一〇〇、〇〇〇円を受領し、これを慰藉料に充当した。
四、(結論)
よつて、原告は、被告に対し、前項(一)ないし(三)の合計三、五六三、七一〇円から(四)の一〇〇、〇〇〇円を控除した金三、四六三、七一〇円および内金一、〇〇〇、〇〇〇円に対する不法行為の日である昭和四二年一月二四日から、内金二、四六三、七一〇円に対する本訴状送達の翌日である昭和四二年九月一五日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三、請求原因に対する被告の答弁
一、請求原因第一項のうち、被告車が原告に衝突して原告が転倒したとの点は否認、傷害の部位程度は不知、その余の事実は認める。
原告は、行き交う車の強烈な照明に幻惑されたのか、又は足元の道路標識鋲もしくは道路に生じていた亀裂(長さ五〇糎)による断落に足をとられたか、いずれかによつてよろめいて転倒したものであつて、被告車が衝突したものではない。
二、請求原因第二項は認める。
三、請求原因第三項のうち、(四)の保険金受領の点を除き、他は全て争う。
第四、被告の抗弁
被告は、被告車が原告に衝突ないし接触したことを否認するが、仮に接触が認められた場合には、予備的に次の抗弁を主張する。
一、(自動車損害賠償保障法(以下自賠法と略称)第三条但書の抗弁)
(一) 被告には過失はない。すなわち、被告は本件現場附近において、制限速度内で前方に注意しつつ走行していた。そして、原告を右前方に発見するや大事をとつて直ちにブレーキをかけたのである。
(二) 原告には次の過失がある。すなわち、本件道路は人道と車道との区別があつて、本件現場附近には横断歩道が二ケ所あるから、この道路を横断しようとする者は、信号に従つて車に注意しつつ横断歩道を通つて横断すべきであるにも拘らず、原告はその義務に違反し、横断歩道でない所で車の疾駆する車道を斜めに横断し、センターライン附近においても右後背側部方向からの車に注意していなかつたものである。
(三) 被告車には、構造上の欠陥又は機能の障害はなかつた。
二、(過失相殺)
仮に免責の抗弁が認められないとしても、前項(二)のように、原告に重大な過失があるから、損害額の算定において参酌されるべきである。
三、(一部弁済)
被告は、原告に対し、一〇、〇〇〇円ずつ二回、眼鏡代名下に一五、〇〇〇円を一回それぞれ交付した外、原告の入院費金三三、〇〇〇円を立替えて支払つている。更に、原告は、強制保険金として合計五〇〇、〇〇〇円を受領しているので、原告は合計五六八、〇〇〇円を受領ずみである。
第五、被告の抗弁に対する原告の認否
一、(免責の抗弁について)
(一) 被告に過失がなかつたことは否認する。すなわち、被告車は、時速五〇粁程度の速度はあり、漫然とその速度でセンターライン側方五〇糎のところを進行していた。
(二) 原告の過失を否認する。すなわち、原告が横断歩道でない所を横断したことは認めるが、そのことが直ちに過失となるものではない。しかも、原告は、車の流れに注意しつつ横断していたのである。
(三) 被告車は、事故当時右側サイドミラーが欠けて錆びていたし、又全体が埃だらけで汚れていたのであつて、構造上の欠陥がなかつたとはいえない。
二、(過失相殺について)
原告の過失は否認するが、仮に原告に過失ありとしても、その割合はたかだか五パーセント程度である。
三、(一部弁済について)
原告が、計五六八、〇〇〇円を受領したことは認める。
第六、証拠 〔略〕
理由
一、事故の発生
先ず、本件訴訟の最大の争点、すなわち被告車が原告に衝突したか否かについて判断する。
被告本人尋問の結果によれば、被告代理人の質問に対しては「急停車をしたとき既に原告はつまずいたようにして倒れていた」旨答え、裁判官の質問に対しては「原告は完全にうつぶせに倒れていたのではなく、身体を右下に斜めにして両手で身体をささえるようにしていた」旨答えていることが認められ、この間に供述に微妙な変化があるのみならず、成立に争のない乙第四号証(被告の司法警察員に対する供述調書)によれば、被告は、取調の司法警察員に対し、「停止したとき、被害者は右側を下にして横倒しにたおれてしまつたのです」と述べていることが認められ、これ亦、被告本人尋問の結果と喰い違いを示している。しかも、〔証拠略〕によつて認められる傷害の部位が、左胸部、左腰部、両膝部という左側に挫傷があることと明らかに矛盾するのであつて、被告車が停止したとき原告が既に倒れていた旨の被告主張は認め難いのに反して、〔証拠略〕によれば、被告車の前部バンバーの右側寄りと右側ボンネツト上からフエンダー寄りの所にそれぞれ埃のとれた跡のあつたことが認められ、更に〔証拠略〕によれば、原告は前記傷害の他右側頭部の前頭寄りに打撲のあとが認められ、以上の諸事実を総合すれば、先ず被告車のバンバーが原告の膝に当り、このため原告の体がすくわれるように右側ボンネツトにぶつつけられ右側頭部を打ち、次いで左側を下に地面に落下したものと認められる。〔証拠略〕によれば、本件事故現場には路面に亀裂があつたことが認められ、〔証拠略〕によれば、原告はつまさきの痛みを訴えており両足趾部に挫傷のあることが認められ、右事実から原告がつまずいたことが認められるけれども、頭部は右側、胸や腰は左側という傷害は、つまずいたことを原因として生じたものとしては説明がつかないのみならず、前記の如く被告本人尋問の結果は措信し難いのであつて、原告の傷害は原告がつまずいたことによるのではなく、それとは別の被告車との衝突によるものであることを覆すに足りる証拠はない。
請求原因第一項のうち、右に認定した事実以外の点は当事者間に争がない。
二、(被告の責任)
請求原因第二項は、当事者間に争がない。そこで、免責の抗弁について判断する。
〔証拠略〕によれば、本件事故現場附近は舗装された直線道路であり街路灯もあつて見透のよいこと、しかるに、原告は七・二米に接近して初めて原告を発見して急制動をかけたことが認められる。そして、前記の如く原告に衝突したのであるから、被告が原告を発見したのは遅きに失し、そのための衝突と言わなければならないのであつて、被告には前方注視義務を怠つた過失が認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
したがつて、免責の抗弁(二)(三)について判断するまでもなく被告は自賠法第三条に基く運行供用者の責任を負わなければならない。
三、(過失相殺)
ところで、〔証拠略〕によれば、近くに横断歩道があるにも拘らず原告は横断歩道でないところを横断しようとし、車道の中心線に沿つて歩いたことが認められる。右の事実と、被告の前記過失とを勘案すれば、原告と被告との過失の割合は、二対八と認めるのが相当である。
四、(損害)
(一) 逸失利益
原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和四一年一一月から旅館あぐら荘に女中として勤務するようになつたことが認められるが、固定給月額二三、〇〇〇円の他にチツプが二〇、〇〇〇円あつた旨の原告本人尋問の結果は全面的に措信することはできず、昭和四一年における規模五ないし二九人の事業所勤務の全国女子労働者の平均賃金は一ケ月一九、九八三円であること(総理府統計局編・日本統計月報昭和四三年五月号)および旅館における女中の勤労の実態は拘束時間が長く労働もかなり激しいものであることを考慮すれば、原告の当時の月収は計三〇、〇〇〇円の限度で認めるのが相当である。
ところで、〔証拠略〕によれば、原告は頭部外傷(頭蓋内出血)、顔面、左胸部、左上肢、左腰部および両膝部、両足趾部挫傷の疾病により、昭和四二年一月二四日から同年二月一日まで入院加療し、以後引き続き投薬の上、自宅療養ならびに通院を続け、昭和四二年八月一一日現在では頭部外傷後遺症と考えられる頭痛、頭重、眩暈等の愁訴があり、脳波検査にも脳の機能低下が疑われる所見のあつたこと、しかし同年一一月九日の脳波検査では異常がなく、昭和四三年一月一八日の順天堂大学における診断では原告の頭痛・吐気・眩暈等の愁訴にも拘らず自覚症状を裏付ける所見は得られなかつたこと、つまり、脳外科的には器質的な障害はなく、脳神経学的検査によつても原告の愁訴はうなづけないことが認められ、のみならず、原告は以前から肺結核を患つており、定期診断を受ける必要のあることが認められる。
以上の事実に鑑みれば、昭和四三年一月には原告の後遺症は治癒したものと認められる。
したがつて、被告が原告に対して賠償すべき逸失利益は、右の期間に限つて肯認すべきであり、しかも前記過失相殺をすると(月収三〇、〇〇〇の一二ケ月弱で過失相殺二割)二八〇、〇〇〇円を以て相当と認める。
(二) 慰藉料
原告は本件事故により前記のような傷害を受け、後遺症に悩まされたことによつて多大の精神的苦痛を蒙つたことは容易に推認されるところであるが、事故の態様殊に前記のような原告の過失その他諸般の事情を斟酌すると、原告に対する慰藉料は金五〇〇、〇〇〇円を以て相当と認める。
(三) 一部弁済
原告が、被告から一〇、〇〇〇円ずつ二回、眼鏡代名下に一五、〇〇〇円を一回の支払を受け、更に強制保険金五〇〇、〇〇〇円を受領していること、被告は入院費三三、〇〇〇円を立替え支払したことは当事者間に争がない。したがつて、右のうち、眼鏡代名下の一五、〇〇〇円と入院費三三、〇〇〇円を除いた五二〇、〇〇〇円は、右(一)(二)の賠償金から控除しなければならない。
(四) 弁護士費用
〔証拠略〕によれば、原告は原告代理人に対し昭和四二年八月三〇日に本件訴訟の手数料(着手金)として二〇〇、〇〇〇円を支払つたことが認められる。
しかし、本件の訴額および認容額の比較、本件訴訟の難易その他諸般の事情に鑑みれば、被告が賠償すべき金額は、金五〇、〇〇〇円を以て相当と認める。
五、(結論)
よつて、原告の請求は、前項(一)(二)の合計七八〇、〇〇〇円から(三)の五二〇、〇〇〇円を控除し、これに(四)の五〇、〇〇〇円を加算した金三一〇、〇〇〇円および内金二六〇、〇〇〇円については本件事故の日である昭和四二年一月二四日から、内金五〇、〇〇〇円については着手金支払の日の翌日である昭和四二年八月三一日からそれぞれ完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 篠田省二)